お仏壇・お仏具のことならせんばはまやにお任せください。

兵庫県姫路市博労町152 TEL:079-296-0015 

姫路とともに歴史を刻み、人の心をつなぐ存在でありたい。

せんばはまや
姫路の風景 せんばはまやのあゆみ  のあゆみ
株式会社せんばはまや は1877年(明治10年)現在の姫路市西新町にて創業しました。
せんばはまやの先祖は、お城に納める文書箱や刀のさやなどを塗る職人でした。江戸末期になりますと、各ご家庭にもお仏壇を迎える時代になり、お仏壇造りも始めました。
江戸時代、姫路城下からの交通の要所であった西新町は、西国街道沿いでお仏壇を分業製造する職人が集まる町でした。

初代 濱田利吉は、漆塗りや金箔押しの技術を活かし仏壇専門店を創業しました。当時の屋号は「濱屋佛光堂」としました。

木地・彫刻・漆塗り・金箔・蒔絵・錺金具などそれぞれの専門職が造る姫路仏壇は、豪華で技術も精巧なことから、評価も高く、平成7年に「兵庫県知事指定伝統的工芸品」に指定されました。
姫路の風景 二代目 濱田角次郎が大正15年に後を継ぎ、姫路の道路交通網が整備される中、
昭和5年に船場別院本徳寺の門前通りに店舗を移転しました。(現在地)
職人であった角次郎は、漆塗りに金箔を施したお仏壇づくりに邁進し、
弟子を育成する事にも努めました。
播州の人々の篤い信仰心に支えられ、生み出されたお仏壇は高い評価を得て、
近隣のみならず遠方にも納入するようになりました。

三代目 濱田守太郎の時代、昭和20年姫路空襲により街は壊滅的な被害を受け、
当店も焼失してしまいましたが、翌年昭和21年に
「濱田佛光堂」と看板を掲げ復興しました。
守太郎は、悲惨な戦争体験で命の大切さを痛感し、信仰を深め、
お客様の心に寄り添った誠実な商いをする事を旨としていました。
昭和25年には、屋号を「せんばはまや」としました。
せんば とは、江戸時代、瀬戸内の港から姫路城や城下への物資運搬の為の舟
着き場の地区で、当時から人や物資が集まる栄えた所でした。屋号に親しみのある地域の名を入れました。

四代目 濱田吉曠の代に「株式会社せんばはまや」と法人組織化し、昭和49年に店舗を建替えました。
展示場を広くし、以前は受注生産が主であったお仏壇づくりを継承しつつ、工夫を凝らして仕立てたお仏壇を、多数の商品からお客様にお選び頂ける展示型店舗に移行し、高度成長期に高まるお仏壇の多様な需要、納期に応えてまいりました。また品質の良いお念珠や荘厳仏具にも力を入れ、仏壇・仏具一式を安心してお任せいただける店づくりを進めていきました。
吉曠は、お寺で聴聞するなど深く信仰心を持ち、三代目から受け継いだ「誠実な商い」を旨としてお客様の信頼を得、その精神は、現在も脈々と受け継がれています。
姫路の風景 現在は、五代目 濱田真輔が社長に就任し、創業以来培ったお仏壇造り、荘厳仏具、仏事のノウハウを大切にし、さらにお客様とのご縁をいただけるように努めています。
平成27年に、世界遺産の姫路城が平成の大修復を終えグランドオープンしました。
姫路の街にもさらに多く観光客が訪れる様になり、姫路マラソンが開催される等新たな発展を遂げようとしています。

同年に弊社も店舗を建替オープンし、お客様に安心してお仏壇、お仏具、お線香等をお選び頂ける店舗にしたいと思っております。
お仏壇については、伝統的な金仏壇、銘木唐木仏壇、また現代の生活様式に合うお仏壇づくりへの取り組みにも力をいれており、幅広い展示と丁寧なご説明を心がけております。
ご寺院様のお仏具や伝統的な金箔仏壇のご修復におきましても、材料・工法を吟味し、後世に永年受け継いで頂ける品質で、施工実績を重ねております。

  の想い

姫路の風景 「今日の一日に感謝を表すのがお仏壇」

代表取締役  濱田 真輔


ご家庭にご本尊をご安置され、得られる心のやすらぎ、お亡くなりになられた方を偲ぶ心、ご先祖さまへの供養の心、また身近な人を想う祈りの心は、私たち日本人にとってかけがえのないものと思います。

生活様式や、ご家庭の有り様は、時代と共に大きく変化しており、お仏壇の大きさやデザインも多様化しております。しかし、変わらない祈りの心があります。

忙しい日常の中でも、また悲しみの中でも、ひととき心を落ち着かせる場所があることは、とても幸せなことです。お寺や神社へお参りする人、海を見に行く人、旅に出る人、様々ですが、お家の中の「お仏壇」もそういう存在ではないかと思っています。

「皆様に手を合わせていただくお仏壇ですから、
                    心を込めてお届けしたい」

お客様の心に寄り添い、お仏壇選びをお手伝いしたいと願っています。
流通が発達した現代は、私どもを支えてくれる職人さんが、地域を越えて


京都、名古屋、広島、会津、徳島、静岡、高岡などから寺院仏具・仏壇・仏具造りに力と技を尽くしてくれています。
後継者不足が懸念されていますが、まだ多くの若い職人さんが、熟練職人から指導を受け日々鍛錬を重ねています。

寺院仏具は、お陰様で地域のお寺様を中心に大切なお仏像やお掛軸、荘厳仏具などの新調やご修復を拝命するようになりました。
私が20代の頃京都の仏具専門店で勉強させてもらった事や、弊社専務 濱田健吾が滋賀県の神仏具製作工房で各職の熟練した技を目近で接し、学んだ事が貴重な経験となっております。


『せんばはまや』は創業1877年(明治10年)”思いを表すお仏壇”づくりの職人として、
初代 濱田利吉から本年で140年を迎えることが出来ました。
ひとえにお世話になりました皆様のおかげさまでございます。
これからも社員、職方一丸となって皆様のお役に立てますように今後とも精進してまいります。
何卒よろしくお願い申し上げます。

と姫路仏壇
江戸の頃、播州姫路では、姫路城のお膝元で武士の刀の鞘や御文箱や調度品といった漆による工芸品の文化が発展しました。

せんばはまやの先祖もこの漆工芸の仕事をしていました。江戸の末頃になると一般のお家にお仏壇が安置されることが多くなり、この頃に姫路仏壇が生まれます。姫路仏壇は外見は豪華絢爛、重厚という特徴がありこれは偉容を誇る姫路城ともイメージが重なります。武士の世から明治になり姫路仏壇はその磨かれた技と仏壇を大切にする風土により播州一円に広がっていきました。

せんばはまやは昔の西国街道(現在の国道2号線北側)の西新町で明治10年創業。仏壇の職人集団がいて仏壇を制作していました。

姫路城中期の藩主、本田忠政が新しく船場川を
改修した時、船着場の一帯を船場(せんば)と呼ぶ
ようになり、城下一の商業地として栄えていたので、
二代角次郎は昭和の初めに店を現在の地に移し、時代を経て法人組織となりました。

平成になり姫路仏壇は兵庫県伝統工芸品の指定を受けました。当社においてもこの伝統工芸の発展の為に一層の切磋琢磨をし、また現代社会のニーズに合った商品開発を目指し日々努力を続けています。
姫路仏壇
兵庫県知事指定伝統的工芸品 姫路仏壇

姫路仏壇

黄色の枠 をクリックすると各ご説明に移ります。

船場城西の地図

姫路市
1993年に世界文化遺産登録。池田輝政により築城され400年以上の歴史がある。白鷺城とも呼ばれる。
姫路の歴史は永く、大化改新の後7世紀に播磨国が置かれました。神仏との関わりも深く、8世紀中頃に聖武天皇の勅令で国分寺が建てられ、今に伝わる廣峯神社や書写山圓教寺(966年創建)などの古刹が創建されました。
戦国から安土桃山時代にかけては、黒田家が姫路城を守り、後に豊臣秀吉が1581年に三層の天守閣を築き入城しました。
現在の姫路城は、1600年に城主に就いた池田輝政により築城されたものです。
江戸時代には、木綿業、漆工技術、酒造や皮細工、明治大正時代になりマッチ産業、紡績業、鎖(くさり)・錨(いかり)づくり、昭和になると、鉄鋼業など様々な産業により支えられ姫路は発展し、現在は人口50万人を超える兵庫県第二位の都市になりました。
船場地域
『せんばはまや』のある船場地域は、姫路城下町として築城後400年の歴史があり、商人や職人が多くいました。
京都から九州方面を結び参勤交代にも利用された西国街道(山陽道)が通り、さらには港町室津へつなぐ街道、瀬戸内飾磨へつながる川もあるため、人々の往来が多く物資の運搬や情報、文化の伝播を担う地区でした。
現在では国道・県道の整備が進んで姫路駅へのアクセスが良くなり、姫路市の中でも交通量の多い地域となりました。
古くからの寺院や特色のある街並み、町名も多く残り、ウォークラリーで散策される方も増えるなど魅力的な町です。
①博労町(ばくろうまち)
『せんばはまや』がある町 江戸時代の姫路城下の人々の移動運搬手段と言えば馬や牛が中心で、当時は牛馬の市場もあり通行の為道幅の広い地域でした。すぐ脇には船場川が流れ舟での物資運搬が盛んな地域で、川沿にあった備前門(福中門)を抜ける西国街道が通る交通の要衝の町でした。
②船場川(せんばがわ)
本多忠政時代に内濠と元の川を整備し(1624)、姫路城の西を南北に流れ、瀬戸内飾磨港へとつづく川となり、材木や物資運搬の舟が往来していました。お城や城下への物資積みおろしの舟着き場があり、また川沿いには新しい町もでき船場地区・城西地区として発展しました。この頃から船場川と呼ぶようになったそうです。現在も材木町、小利木町(こりきまち)(薪などを小切にした問屋があった)、大蔵前町(姫路藩の米蔵があった)などの町名があります。
③備前門跡(福中門)・備前門橋(びぜんもん)
江戸時代お城の西の玄関口で、姫路城外濠の役割を果たした船場川に木橋が架けられ西国街道であるこの門橋を参勤交代の大名や多くの人々が行きかう当時では幅の広い大きな橋だったそうです。
門を抜け街道を西へ進むと備前へ向かえる為、備前門と呼び、後に福中門と改名されました
④埋門跡(うずみもん)・白鷺橋(はくろばし)
姫路城の中曲輪(なかくるわ)南西隅櫓(やぐら)があり、その傍らに設けられえた城門の一つでした。
中濠には、土橋が設けられていたそうです。
中濠は、大正から昭和初期に埋め立てられ国道2号線が整備され、船場川との交差が白鷺橋となりました。
白鷺橋は昭和20年の戦火にも耐えた橋です。
橋名の由来は、姫路城の推称とされた白鷺城によるものです。
⑤千姫の小径(せんひめのこみち)
お城の西部中濠と船場川の間に南北に約500mの小径です。
春は桜、秋は紅葉が美しく、水辺を見ながら散策するのに良いところです。
千姫は徳川家康の孫娘で、豊臣秀頼に嫁ぎ大坂の陣後、1616年に21才の時に本多忠刻と結婚しました。
忠刻の父 本多忠政が姫路城主となり一緒にお城へ入りました。
小径には、千姫の像や千姫の歌碑もあります。
⑥船場別院本徳寺・地内町(じないまち)
船場別院本徳寺の寺内、地内の町であることから本徳寺を中心に地内町と呼ばれるようになりました。
1490年頃、本願寺中興の祖「蓮如上人」のお弟子が播州に来られ、英賀御堂を中心に熱心な布教活動のおかげで「播州門徒」と呼ばれるぐらいに全国的に見ても信仰心の篤い方々の多い地域となりました。
船場別院本徳寺は、1618年藩主 本多忠政により、池田氏時代の組屋敷であった百間四方を寄贈し、十三間四面の本堂を建立されたのが始まりです。
東本願寺を本山とする真宗大谷派のお寺です。「船場御坊さん」と親しまれ御坊楽市も年数回開催され人気です。
木造の立派な本堂と山門は江戸時代のもので、市指定文化財です。
⑦西新町(にししんまち)
大正時代、このあたりの中心であった中村という村の一部が町名改正で元町となり、この町の西にあたる新しい町ということで
「西新町」となりました。『せんばはまや』創業の地です。
西国街道沿いで人々や物資の往来が盛んな地域で当時、仏壇仏具の商い職人の多い町でした。
⑧龍野町(たつのまち)
姫路の中でも歴史ある所で姫路の西出入口の町。
西国街道が通り、商店も多く書写山への巡礼への道もあり古くから多くの人々でにぎわう町でした。播磨平野一帯は有数の木綿栽培地帯で、木綿を商いする商店も龍野町にも多くあったそうです。家老 河合道臣(寸翁(すんのう))が藩の財政立て直しとして木綿専売制を実施した事は有名です。現在も古い建物が残っています。
⑨のこぎり状の道
江戸時代、道をのこぎりの刃のようにガタガタにし、お城の攻守戦術としてつくられたと言われています。
⑩見星寺(けんしようじ)
室町時代創建の臨済宗妙心寺派のお寺。
⑪景福寺(けいふくじ)
曹洞宗のお寺。姫路藩主・酒井家の菩提寺で山門の仁王像は鎌倉時代の作です。
⑫飾磨県庁跡(しかまけんちょうあと)
明治時代ここに県庁舎があり行政の中心でした。後に姫路赤十字病院となり平成14年に移転しました。
⑬西二階町(にしにかいまち)
江戸時代 平屋建てが多い中、当時としては珍しい二階建ての商店が多く、東二階町・中二階町と共に活気あふれる街でした。
姫路駅から船場御坊への参道でもあり、人通りの多かった商店街です。
⑭魚町・塩町・大蔵前町
鮮魚店が多くあり、塩蔵・藩の米蔵がありました。
⑮長壁神社(おさかべじんじゃ)
姫路城天守にある長壁神社を地元の人々にもお参りできる様に立町に分社されました。
毎年6月に行われる姫路のビックイベント「ゆかた祭り」の中心となる神社です。

Copyright (c) 2016 senbahamaya Co.,Ltd. All Rights Reserved.

PAGE TOP